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        4月14日の日本民話 
          
          
         
イモほり藤五郎 
石川県の民話 → 石川県情報 
       むかしむかし、加賀山科(かがやましな)の里に、山イモをほって生活している、藤五郎(とうごろう)という若者がいました。 
   とても気のいい男で、あまったイモはみんな人にやってしまうのです。 
   ある日、藤五郎のところに、都からとても美しいお姫さまがきました。 
   そして、ビックリしたことに、 
  「藤五郎さま、わたくしをあなたのお嫁さんにしてください」 
  と、たのんだのです。 
  「それはうれしいが、せっかく嫁にきてもらっても、家には二人分のお米もない」 
  と、いう藤五郎に、お姫さまはいいました。 
  「これで、お米だってお魚だってなんでも買えますよ。心配いりません」 
  と、いって、砂金(さきん)の入った錦(にしき)の袋を藤五郎にわたしました。 
   欲のない藤五郎は、砂金の価値もわからないまま山をおりて、買い物にでかけました。 
   藤五郎は山を下りる途中、二羽の鳥を見つけました。 
   お姫さまにあの鳥の肉を食べさせてあげようと思い、砂金の袋を鳥めがけて投げつけました。 
   ところが砂金の袋は口がひらいてバラバラになり、鳥も逃げてしまいました。 
   手ぶらで帰ってきた藤五郎の話を聞いたお姫さまは、 
  「まあ、あなたという人は、何という事をしたのです」 
  と、いって、残念がりました。 
   そんなお姫さまのようすをみて、藤五郎はいいました。 
  「それは悪い事をしたな。だけども、こんなものが欲しいのなら、山イモをほればツルにいくらでもついてくるよ」 
   藤五郎はお姫さまを山につれていき、山イモをほってみせました。 
   すると山イモのツルは、ピカピカに輝いています。 
  「まあ、これはもしかして」 
   お姫さまが山イモを沢(さわ)で洗ってみると、たくさんの砂金がとれました。 
   それから藤五郎は、イモほり長者と呼ばれるようになりました。 
   しかし藤五郎の生活ぶりは変らずで、砂金をとっても貧しい人にわけてあげるなど、欲のないものでした。 
   村の人たちはイモ洗いの沢を『金洗沢(かねあらいさわ)』と呼び、いつごろからか『金沢(かなざわ)』というようになったのです。 
      おしまい 
                  
 
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