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 9月21日の日本民話 2
 
   
 左甚五郎の彫ったヤマネコ
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  むかしむかし、ある村に、杢市(もくいち)という、目の不自由なあんま(→マッサージ師)がいました。
 ある日の事、杢市は珍念(ちんねん)というお坊さんにあんまを頼まれて、お寺へ出かけていきました。
 そして珍念の体をもみはじめるなり、杢市の顔がみるみる青ざめていったのです。
 (この手触りは、人間ではない!)
 杢市の様子に気づいた珍念は、鋭いキバをむくと、うなるような声で言いました。
 「杢市よ。わしの事を、誰にも話すでないぞ。もし話したら、お前の命はないと思え」
 珍念の正体は、ヤマネコの化け物だったのです。
 ヤマネコは杢市をにらみつけると、お堂から逃げていきました。
 
 ヤマネコがいなくなると、杢市は村までの道を何度も転びながら逃げ帰りました。
 そして傷だらけになった杢市を心配する村人たちに、つい、ヤマネコの事を話してしまったのです。
 「なんと。あのお坊さんが、ヤマネコだったとは!」
 「わざわいが起こる前に、何とかしないと!」
 自分たちのお寺にヤマネコの化け物が住みついていると知った村人たちは、山狩りをしてヤマネコ退治をする事にしました。
 
 次の朝、村人たちは棒や竹やりを持って、お寺のある山をぐるりと取り囲みました。
 そして日暮れまでヤマネコを探しましたが、ヤマネコの姿を見つける事は出来ませんでした。
 「ひょっとしたら、お堂に隠れているのかもしれんぞ」
 そこで二十人ばかりの若者がお堂に飛び込み、隠れていたヤマネコを退治したのです。
 「やった! ヤマネコを退治したぞ!」
 「これで村は、救われた!」
 
 その次の年から、村では毎年正月三日になるとヤマネコの皮をはいだ敷物をお堂の床に広げて、それを見ながら化け物退治を祝った酒盛りをするようになりました。
 
 それから何年かたった春の事、左甚五郎(ひだりじんごろう)という有名な彫物師が、このヤマネコ退治の話を聞いてやって来ました。
 村人たちに案内されてお寺にやって来た甚五郎は、お寺を一目見て言いました。
 「この寺には、殺されたヤマネコの怨念(おんねん)がさまよっている。
 何も悪い事をしていないのに殺されて、さぞ無念であったろう。
 ヤマネコの怨念は間もなく力をつけて、村にたたりを起こすだろう。
 その前になぐさめとして、ヤマネコを彫ってやろう」
 甚五郎はノミを取り出すと、お堂の棟木にヤマネコの顔を彫りました。
 そのヤマネコの顔は、殺されたヤマネコにそっくりでした。
 彫り終えた甚五郎は、ヤマネコの怨念に言いました。
 「ヤマネコの怨念よ。この彫った顔に、さまよう魂を宿すがよい。村人をうらむ事なく、ここで生き続けるがよい」
 すると彫った顔にヤマネコの魂が宿ったのか、彫り物の顔が悲しい声をあげて、
 「ニャー、ニャー」
 と、鳴いたのです。
 
 それから毎年春の夜になると、彫り物のヤマネコは悲しい声で、
 「ニャー、ニャー」
 と、鳴いたそうです。
 おしまい   
 
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