|  |  | 366日への旅> 今日は何の日 > 8月の記念日 >君が代記念日
 
 8月12日 君が代記念日
 
 
  記念日イメージキャラ 福ちゃん イラスト「ぺんた」 ※無断転載禁止
  1893(明治26)年のこの日、文部省(文部科学省)告示「小学校祝祭日大祭儀式規定」の公布により、小学校の祝日・大祭日の唱歌として「君が代」「一月一日」「勅語奉答」など8曲が定められました。歌詞の原形は「古今和歌集」で「君」はもともと家長や友人、愛人の意味でした。
 
 
  
  
 歌の出てくる昔話
 
 ナイチンゲール
 アンデルセン童話 → 詳細
  むかしむかし、中国の王さまのもとに、遠い国から一冊の本が送られてきました。そこには、
 《中国の王さまのご殿は、世界一すばらしい。でも、本当にいちばんすばらしいのは、そのお庭のナイチンゲール(なきウグイス)の声》
 と、書かれてありました。
 「わしの庭に住んでいるらしいナイチンゲールとやらを、今夜じゅうにさがし出してまいれ」
 大臣と家来たちはご殿じゅうさがしましたが、どこにいるのかわかりません。
 こまっていると、台所で働く小さい娘が、
 「その鳥なら、毎晩、病気のかあさんに食ベ物を届けにいくとき、森の中でいい声で歌ってくれるわ」
 と、いいました。
 みんなは、娘を先頭にゾロゾロと森へ出かけました。
 森の奥から、鈴をふるような、きれいな歌声がひびいてきます。
 「しっ! あれがナイチンゲールよ」
 娘は、枝に止まっている灰色の小鳥にいいました。
 「王さまに、あなたの歌を聞かせてあげて」
 娘のたのみを聞いて、ナイチンゲールは、その晩、王さまのご殿にやってきました。
 ナイチンゲールは、王さまの前で歌いました。
 王さまは、はらはらと涙をこぼていいました。
 「なんてすばらしいのだ。どうか、いつまでもわしのそばにいてくれ」
 その日から、ナイチンゲールはりっぱな鳥かごをいただいて、ご殿で暮らすようになりました。
 さて、ナイチンゲールがやっとご殿の暮らしに慣れたころ、遠い国から王さまへ贈り物が届きました。
 それはダイヤモンド(→ 詳細)とルビー(→詳細)で飾られた美しい金のウグイスで、ネジを巻くと尾をふって、それはみごとに歌うのでした。
 「金のウグイスがいれば、わしは、なにもいらぬ」
 その王さまのことばを聞くと、ナイチンゲールはまどからそっと飛び立って、森へ帰っていきました。
 そうして、一年たちました。
 ある晩、金のウグイスはブルルル、といったきり、動かなくなってしまいました。
 王さまは医者や時計屋をよんで、なんとか金のウグイスを歌わせようとしましたが、むだでした。
 心棒(しんぼう)の折れたウグイスを、もとのように歌わせることなど、だれにもできなかったのです。
 それから、五年たちました。
 王さまは、重い病気にかかり、だれもが王さまはもう助かるまいと思っていました。
 新しい王さまも決まり、大臣や家来たちは、新しい王さまのあとばかり追いかけて歩いていました。
 「たのむ。もう一度歌ってくれ。金のウグイスよ」
 病気の王さまは、ベッドの中で涙をこぼしました。
 そのとき突然、鈴をふるような歌声がまどのそばでひびきました。
 歌っているのは、森のナイチンゲールです。
 王さまが苦しんでいることを知って、なぐさめにきたのです。
 ナイチンゲールの声を聞いているうちに、王さまのからだに力がわいてきました。
 ナイチンゲールは、声をかぎりに歌いました。
 (もう一度、お元気になって。王さま!)
 その晩、王さまはグッスリとねむり、新しい朝がきたときには、青ざめていた冷たいほおは、バラ色にかがやいていました。
 「ありがとう、ナイチンゲールよ。これからも、たびたび飛んできて、わたしをはげましておくれ」
 ナイチンゲールが森へ飛んでいったあと、家来たちがヘやへ入ってきました。
 家来たちは、てっきり王さまが亡くなったものと思って見にきたのです。
 元気になった王さまは、ビックリする家来たちをジロリと見回して、
 「おはよう、みなの者」
 と、いったのです。
 おしまい
 
   配布の日ポスティング(各戸の郵便受けに広告などを投入すること)やサンプリング(街頭での広告の配布)を行う企業の団体・日本広告配布事業組合が制定。
 「は(8)い(1)ふ(2)」の語呂合せ。
 
 → 日本広告配布事業組合
 
 太平洋横断記念日
 1962(昭和37)年のこの日、堀江謙一が小型ヨット「マーメイド号」で太平洋単独横断に成功し、サンフランシスコに到着しました。
 
 → 堀江謙一オフィシャルサイト
 
 国際青少年デー
 1999(平成11)年の国連総会で決定。国際デーの一つ。
 1999年、リスボンで世界青少年担当閣僚会議が閉幕しました。
 
 航空安全の日,茜雲忌
 1985(昭和60)年、日航機123便が群馬県御巣鷹山に墜落し、520人の犠牲者を出しました。 生存者は4人でした。金属疲労による圧力隔壁破壊が原因とされています。
 遺族らがつくる「8・12連絡会」が編集したメッセージ集のタイトルから「茜雲忌」とも呼ばれます。
 
 晴れの特異日
 晴れの確率が高い日。
   
 
 |  |  |