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 9月6日の日本民話 2
 
  
 俊寛(しゅんかん)の足ずり岩
 鹿児島県の民話→ 鹿児島県情報
  今から八百年ほどむかしの事、当時の日本を治めていたのは、平清盛(たいらのきよもり)を頭とする平家一門でした。しかし貴族の中には平家に不満を持つ者が多く、清盛退治を計画したのですが失敗してしまいました。
 怒った清盛はその中に加わっていた、俊寛僧都(しゅんかんそうず)、平康頼(たいらのやすより)、藤原成経(ふじわらなりつね)の三人を島流しにしたのです。
 その島というのが硫黄島(いおうじま)という南の離れ小島で、ごつごつとした岩肌ばかりのとても人が住める様な島ではありませんでした。
 
 それから一年が過ぎたある日、都からの使いが船に乗って島にやって来ました。
 使いの者が持って来たのは、三人が待ちに待っていた清盛の手紙でした。
 三人が震える手で手紙を開いてみると、そこにはこう書かれていました。
 《平康頼、藤原成経、両名の罪を許す》
 名前を書かれていた二人は大喜びですが、手紙には俊寛の名前がありません。
 俊寛は必死になって、罪を許された二人や使いの者に頼みました。
 「なぜ、このわたしにだけお許しがないのだ。頼む、せめて九州まで連れて行って下され」
 ところが、都の使いの者は、
 「名前のない者を、ここから連れて行く事は出ません!」
 と、俊寛を船に乗せるのを承知しませんでした。
 康頼と成経は俊寛をなぐさめましたが、俊寛は泣きわめくばかりです。
 「頼む、頼むから連れて行ってくれ! こんな島では、あと一年も生きていけない!」
 「・・・・・・」
 
 やがて船がこぎ出されると、俊寛は船のともづなにとりすがって海に入って行きました。
 俊寛は船べりにしがみついて、必死で頼みました。
 「頼む、頼むから、わたしも連れて行ってくれ!」
 しかし都の使いは俊寛の手を払いのけて、船をこぎ出していったのです。
 俊寛は岩につかまると、船が見えなくなっても足ずりをしながら泣きわめきました。
 「頼む、頼むから、わたしも連れて行ってくれ!」
 そして、あまりにも足ずりをするので、とうとうその岩は足の形にくぼみが出来たそうです。
 
 それから一年後、ついに俊寛は都に帰る事なく死んでしまいました。
 後に島の人々が俊寛の霊を慰めるため、旧盆の七月十五日、長浜の浦に大きなたいまつを燃やす事にしたのです。
 
 俊覧が足ずりをしてへこんだ岩は最近まで残っていたそうですが、今は水に沈んでしまって見る事が出来ないそうです。
 おしまい   
 
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