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        日本のふしぎ話 第7話 
         
          
         
クジラと海のいかり 
       むかしむかし、クジラとりの村で、長いこと不漁がつづき、村のみんなは困っていました。 
   そのころは、お百姓(ひゃくしょう→詳細)が米をねんぐとして代官所(だいかんしょ→江戸時代、地方をおさめた役所)などへおさめたように、そこの漁師たちも、クジラの肉を殿さまへおさめていたのです。 
   クジラがやってこなくては、ねんぐをおさめたくてもおさめられません。 
   ほんとうにこまっていると、ある夜、親方がふしぎなゆめを見ました。 
   紋付き(もんつき)の着物をきたクジラの親がきて、 
  「わたしらは、あす、熊野まいり(くまのまいり→和歌山県熊野三社へのおまいり)に、子クジラをつれて、この沖を通ります。どうか、こんどばかりはお見のがしください」 
  と、熱心にたのむのです。 
   親方は、熊野まいりだというので、 
  「よろしい。あすは船をださん」 
  と、かたくやくそくしました。 
   つぎの朝早く、山の見はりに、あいずののろしがあがりました。 
  「クジラがきたぞ!」 
  と、漁師たちは小おどりして、浜へいそぎました。 
   親方はおどろいて、「船を出すな!」と、とめましたが、みんなききません。 
   ゆうべのふしぎなゆめの話をすると、漁師たちはわらって、つぎつぎに船をこぎだしました。 
   しおをふきあげ、沖にすがたをあらわしたのは、子づれのセミクジラでした。 
   このセミクジラが、いちばんお肉がおいしく、お金ももうかりました。 
   親方とのやくそくを信じきっていたのか、船が近づいてきても、セミクジラの親子は、ゆうゆうと泳いでいきます。 
   やがて、漁師たちの船は、親子クジラをとりまき、親クジラの頭にアミをかけました。 
   ハザシとよばれる漁師が、船をこぎよせ、一番モリを親クジラにうちこみました。 
   そのとたん、おこった親クジラは、おそろしいいきおいで、漁師たちの船におそいかかりました。 
   ふかくもぐったかとおもうと、たちまち山のような巨体をあらわして、漁師の船を空へもちあげ、また、つよい大きな尾で、べつの船をこっぱみじんにたたきわりました。 
   しかも、空がにわかにくもり、すみをながしたように、まっくらになったのです。 
  「シケがきたぞ。つなを切れ」 
   漁師たちが気づいたときは、おそすぎました。 
   突風がふきだし、海はあわだって、二、三十そうもの船は、かたっぱしから波にのまれていきました。 
   ぶじに浜へもどることができた漁師は、ひとりもいなかったそうです。 
   そして、このことがあってから、 
  「セミ(セミクジラ)の子づれは、ゆめにもみるな」 
  と、どこの浜でもいわれるようになったのでした。 
      おしまい          
         
        
       
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